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卒業生の声

 

儀間 純さん
2011年度 卒業
琉球朝日放送 放送制作局
報道制作部記者(警察・司法担当)

「テレビに携わる仕事がしたい!」そんな憧れを持って、私は東海大学に入学した訳ではありません。というのも入学当時、恥ずかしいことに、私がなりたかったものはインディ・ジョーンズの様な考古学者。とても漠然とした夢で、入学した学科も広報メディア学科ではありませんでした。そんなふわふわ(笑)していた私にテレビ業界を志すきっかけをくれたのは、広報メディアプロジェクトでした。

学生がテレビ番組を制作して放送まで行っている活動の存在を知った私は、広報メディア学科への転学を決意しました。転学後は、ドキュメンタリー番組などの制作に携わり、授業そっちのけで、朝から晩まで取材に出かけ、カメラや編集機、そして気の合う仲間たちに囲まれた生活を送っていました。
時には担当教授に内緒で、バラエティ番組や心霊番組を作ったり、スタジオで歌を唄ったりと、今思えばかなり自由度が高かったです(笑)。楽しかった大学時代と比べると、社会はとても厳しいものです。
私はいま、地方局(沖縄)で報道記者をしています。記者をあまりイメージできない方も多いと思いますが、ニュースの原稿を書くために、あらゆるところに取材に行って、いろんな人から話を聞いて、カメラマンに映像をとってもらい、放送する。簡単に言うとこれが記者の仕事ですが、そう簡単にはいきません。
私は主に事件・事故等を担当しているため、どんなに時間が遅くても、どんなに眠くても、どんなに酔っぱらっていても一報が入れば現場や関係者のもとに出向いて取材をします。よく聞く夜討ち朝駆けと呼ばれるものです。1年目の頃は、大学生気分も多少残っていたため、慣れるのに時間がかかり、自社・他社の先輩に叱ってもらいながら寝れない日々を過ごしていました。

今になって振り返ってみると、私がいまこの仕事に就いていることは大学時代の影響がとても大きいと思います。自分が作ったものを公共の電波に乗せて放送する、ひとつ間違えれば、たくさんの人を不幸にしてしまう恐れもありますが、その反面、たくさんの人を幸せな気持ちにする事が出来ます。
自分が制作したものがテレビで放送された時の恥ずかしさ、視聴者に褒められた時の感動。
これは作り手になってみないとわからないことですし、こんな経験が学生時代にできる学科はそうはないと思います。

いま入学を考えている皆さんの中には、将来の夢が決まらず焦っている方も少なくないと思います。
私もそうでした。ただ、ひとつだけ言えることは、どんな道を選んでも結局は自分次第だということです。一流大学に進学したからといって将来が約束されている訳ではないし、大学に進学していないからといって、一流企業に就職できないわけじゃない。皆さんが自分で選んだ道をしっかり歩いてい行けるよう沖縄からエールを送ります。ちばりよ〜(がんばれ!)

 

水口 さやかさん
2008年度卒業
NHK青森放送局 放送部(キャスター)

私がアナウンサーを志したのは、中学生のときでした。人前で発表することが大好きな、目立ちたがりの生徒会役員だったと思います。この頃から多くの人に言葉で伝える魅力を感じていました。高校時代も放送部に所属し、地域のニュースを原稿にして伝えていました。「大学では、アナウンス、放送の専門知識を学びたい。」こう考え、東海大学の広報メディア学科を選びました。

大学1年次生のときから「アナウンサーになりたい」と公言し、その学びのために大学の入学広報課でオープンキャンパスの司会などを担当してきました。そこで私は、高校まで「きれいな声で原稿を読むこと」にいかにとらわれていたかを実感しました。それでは誰にも伝わらない、そう気づくことができたのは、自然体で話すこと・伝えることの大切さを学んだからでしょう。

また、大学内外で出会った方々とのご縁で、さまざまなセレモニー、総会、お祭りの司会を任せていただきました。司会者になれば学生であることは関係ないため、言い訳のできないプロの社会の難しさを肌で感じた半面、自分の実力を磨くための良い刺激となりました。広報メディア学科では、授業以外にも学びの場がたくさんあります。貪欲にやりたいことを貫けば、必ず目標とする道が拓けると思います。

広報メディア学科は、新聞、雑誌、広告、放送など華やかなイメージがあり、授業もとても個性的なものばかりです。ここで大切なことは、「自分が何をしたいのか」をはっきりと意識した上で学ぶことだと思います。友達と一緒に簡単に単位の取れる授業に出席するのも一つかもしれませんが、せっかく履修するなら関心のある授業を選び、思いっきり吸収するのも良いのではないでしょうか。制作系の授業は特に個人の意欲が大切になります。人に流されず本当に学びたいことを選択してください。

最後の卒業制作で私はラジオ番組を制作しました。当事者である自分が、今まで正面から向き合えなかったテーマをあえて選択し、結果として新しい自分を発見する番組となりました。この制作を通し、深く関心を抱ける問題、番組として掘り下げたいテーマとなる問題に出会えた気がします。自分の軸となるテーマを皆さんにも早く持って欲しいと考えます。

私は生まれ育った青森でキャスターとしてのスタートを切ることになりました。10年以上もの間憧れだった職業に就く喜びと、伝え手としてもっと学んでいかなければという気持ちから心地よい緊張感に包まれています。これからが私のスタートです。大学時代の思い出と学びを活かし、自然体の自分で伝えていきたいと思います。皆さんも、夢は必ず叶うものと信じて今やるべきことを頑張ってください。応援しています!

 

重松 健三さん
2005年度卒業
デイリースポーツ社・東京報道部勤務

野球を辞めても野球に携わる仕事がしたい。高校3年生のとき、そう思って一念発起し、メディアの勉強ができる東海大学文学部広報メディア学科を目指しました。当時は偏差値50もなく、高校生活をすべて野球に費やしてきたので俗に言う「筋肉バカ」状態…でも運良く繰り上げ合格で入学できたときは本当にうれしかった。きっとこの文章を読んでいる皆さんも、マスコミに憧れて入学を希望しているのだと思います。

現在、私は「阪神しか載ってない」ことで有名? なデイリースポーツでプロ野球の記者をやっています。入社から2年間、ロッテを担当し今年から巨人に移りました。1年目から31年ぶりの日本一を経験し、翌年にはWBCアジアラウンドで国際舞台の異様な緊張感を味わうこともできました。新聞記者の仕事はとにかく人と出会って人と話すことです。そして面白いと思ったもの、読者に伝えたいと思うことを原稿にする。広報メディア学科ではこの一連の流れを授業で経験することができます。

ただ、ひとつだけ皆さんに言っておきたいのは、「授業に出てきちんと単位を取れば大丈夫」と思わないでほしいこと。高校と大学はまったく別の物です。確かに授業に出て単位をとることも大事ですが、それ以外に自分でテーマを見つけ、その現場に足を向けることが重要になってきます。

例えば「将来、ファッション雑誌で働きたい」と思えば、週に3回は都心に出て表参道や渋谷でどういう服装が流行っているかを見る。スポーツ記者になりたければ、実際にスポーツが行われている現場に足を運ぶ。広告の道に進みたければ1つでも多く看板を見て、1本でも多くCMを見る。そこで自分が疑問に思ったこと、感動したこと、「私だったらこういうモノが作れる」という思いを教授陣にぶつけるなり、文章にしたり、映像にする。幸いにも広報メディア学科には各界のOG、OBが教授を務めています。的確なアドバイスや指摘がもらえるはずです。

私自身も在学中は野球の試合を1試合でも多く観戦し、単身でアメリカに行ってメジャーやマイナーの試合を見ていました。そこで疑問に思ったことを教授にぶつけ、文章に残す。この経験が就職活動につながり、今では私の大きな心の支えになっています。

大学生活は時間に余裕がありますが、余った時間をどう使うかは皆さん次第です。4年間はあっという間に終わります。どうか悔いのないように、そして同じ業界で働く後輩の誕生を心から願っています。

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